だからなんでだ

嘘日記
今日おれはとある街(住民の名誉のため地名は伏せておく)を歩いていたわけだが、歩いていると一件のサウナの前にさしかかった。この街でサウナというのはある意味非常に危険な場所を意味する場合が多いので、おれはなるべく早くその前を通り過ぎようと歩調を早めた。と突然、サウナの玄関が開いて、中から二人の男が飛び出してきた(なるべくそっちは見ないように目をそらしていたので、視界の隅でとらえたにすいないが)。
「兄者!」
「アーニージャー!!」
なるべくそっちのほうは見ないように目をそらしながら、早足で歩いていたのでよくわからないのだが、二人の男は交互にそう言った。兄者?客引きにしてはおかしなセリフだ。だいいちサウナの客引きなどというものが存在するのか?この街ではありえるかもしれない。いずれにしても、関わりあうとろくなことにならないのは明らかな気がしたので、走って逃げようかとも思ったが下手に刺激しては逆効果な気がしたので無視してそのまま急いで通り過ぎようとした。
「アーニジャー!」
アーニジャーという雄叫びと共に、何かがおれの足にからみついておれを地面に引き倒した。驚きのあまりおれは痛みも感じずに自分の足にからみついたものを見ると、それは毛の束だった。その毛は、二人組の男の片割れの顎から生えた毛につながっていた。早い話が男のヒゲだった。
「ヒィィィーッ!!マジ勘弁してください!!」
おれは恐怖のあまり、普段のクールなおれからは考えられない態度で、謝る理由も思いつかないのにとりあえず謝った。もしも小便をがまんしていたとしたら、失禁していたはずだ。クソをがまんしていたとしたら脱糞だ。そのどちらでもなくてよかった。あやうくコンビニでパンツを買って、公衆便所で着替えるはめになっていたところだ。この街は公衆便所も危ない。
「なぜ謝る兄者!謝ることなど何もない!」
「そうとも兄者!ここは我ら三兄弟の再会の場だ!再会を喜ぶ場でありこそすれ、謝る場ではない!」
シュルシュルシュルとヒゲはおれの足から離れて、男の顎へ戻っていった。伸縮自在なのか。
男達は二人とも上半身裸で、ジーパンをはいていた。いい体をしているが、腹はブヨブヨだった。一人はスキンヘッドだった。二人ともヒゲがやたら長くて、まるで瓜二つだった。双子の兄弟のようだ。
「どうも兄者は前世の記憶が戻ってはおらんようだ。のう関羽
「そうだな張飛。まずは我らが自己紹介をするとしよう。拙者は関羽雲長、これは張飛翼徳だ。頭に毛がなくて胸毛のあるほうが関羽で、頭に毛があって胸毛がないほうが張飛と覚えておくとよいだろう」
関羽張飛?これはあれか、ナポレオンの類のあれか。とんでもない連中に目をつけられた。この二人が関羽張飛ということは、こいつらが兄と呼ぶおれはあれか。例のあれか。
「そしてそなたこそは劉備玄徳」
関羽だか張飛だか頭に毛がなくて胸毛のあるほうが言った。やっぱりそうか。まずいことになった。職安で酔っ払ったオヤジに話しかけられるのとは段違いのまずい事態だ。
「そなたは我らが頭のおかしいあれだと思っているな?無理もない。いきなり我らは関羽張飛だ、お前は劉備玄徳だと言われても信じられないであろう。これはあれだ、いわゆる生まれ変わりという奴なのだ」
「生まれ変わり?」
「さよう生まれ変わり。輪廻転生だ。リーインカーネーションだ。我らは前世において義兄弟の契りを結んだ、義兄弟の間柄なのだ」
関羽だか張飛だかはそう言った。そう言われても。おれは言った。
「いやしかし、私が劉備玄徳の生まれ変わりで、あなたたちが関羽張飛の生まれ変わりであるとしたら、そういうことはありえるかもしれません。あったとしてもおかしくないでしょう。しかしなぜ、あなたたちはそれがわかるのですか?何らかの拍子に前世の記憶が戻るという例は世界で何件も報告されているので、あなたたちが自分の前世が関羽張飛であることを何らかの拍子に知ったとしても、なぜ通りすがりの私が劉備だとわかるのですか?人違いではないんですか?というか三国志の英雄の魂は高校生に転生したというのが一般論ではなかったのですか?」
「それは漫画の話だ!現実は漫画とは違う!現実は女子高生によって作られるものではない!現実は常に中年男性によって作られるのだ!」
関羽だか張飛だかは言った。続いて関羽だか張飛だかもう片方が言った。
「兄者!ガタガタ言っている場合ではない!孫呉曹魏に先を越されてもよいのか!天下をとりたくはないのか!見よ!黄忠魏延も兄者の目覚めを待っておる!」
その関羽だか張飛だかが指差した先を見ると、電信柱の陰に失業者みたいな上半身裸の二人の男が立ってこっちを見ていた。一人はヨボヨボのネクロブッチャーみたいな老人だ。あれが黄忠か。もう一人はボサボサの髪に血走った目をしていて、口に生の鶏をくわえていた。あれが魏延か。ひどすぎる。魏延のほうはよく見ると下半身も裸だった。警察は何をやってるんだ。大田区警察は。あんなのを野放しにして。
張飛!兄者は口で言ってもわからんようだ!ここは一つ、体で思い出させる必要がありそうだ!」
「おお関羽!ここは一発、現世で再び義兄弟の契りを結ぶとするか!兄者、さあサウナへ!」
結局それが目的か。にじりよってくる二人の上半身裸のヒゲ面の巨漢。おれはそこに路駐してあったバイクをひっくりかえした。運良くタンクは満タンでキャップからガソリンが流れてきた。おれはジッポーに火をつけ、ひっくり返したバイクに投げると後ろは見ずに一目散に逃げ出した。
爆音の中「因果応報!赤壁の呪いなりー!」という叫び声が聞こえた気がするがよく覚えていない。