ダメダメダメブヒッブヒッブヒッ

なんとなく響鬼のコンセプトがわかってきたような気がするんだが。あれは「子供の見本になる、子供が憧れるような大人」を描くことが一つのテーマなのではないか?通常、子供の見本となるべき大人としては、一番身近な大人である親であるのが理想だが、親とはいえ生身の人間であるのでだめな部分や見習ってはいけない部分は当然ある。そういった足りない部分を補うのは、次に身近な存在であるテレビ。昔はテレビのヒーローものや刑事ものや時代劇から、子供達は人として大事なことは何かとか、親や先生が教えてくれない数々のことを学んできたわけである。テレビの主流が恋愛ドラマやバラエティに移った90年代以降に子供時代を送った子供達が、今どういう大人になっているか考えればそれは明らかなことである。また逆に子供時代にそういった倫理観や価値基準を刷り込まれて育った現在三十代くらいの大人が、今ダメな大人になっている場合が多いことは、大人になった90年代に日本におけるそういった価値基準の一大転換が行われたため、対応できずにダメになったという理由が考えられる。
そういうことを語り出すときりがないのだが、ゲームやビデオが普及したとはいえ子供が一番手軽に接することのできる娯楽はテレビ。そのテレビにおいて特に90年代後半以降は子供の手本になる大人がいなかった。ファイズでいうとタッくんなんか単なる無職だし、草加なんか単なる精神異常者だ。とても子供に胸を張って「これが大人の見本です」とはいえない。ある意味リアルな見本ではあるんだが。昔はハヤタ隊員とか郷秀樹とか本郷猛とか、本当に子供から見てかっこいい、「こうなりたい」と憧れるような大人だった。当然全部が全部そうではないんだが。第一、いまどきハタチとか23才やそこらでは大人とはいえない。だから響鬼は30すぎになったのだろう。子供の視点としてガキを出すことも必要だったわけだ。響鬼は俺から見てもかっこいい大人だ。「ああなりてえ、いやああなりたかった・・・」と思わせる立派な大人だ。
放送前の「原点に戻る」という制作者のコメントがたしかあったと思うんだが、「こんな太鼓叩いて妖怪倒す変な仮面ライダーの何が原点なんだよバイク乗ってねえし」って最初思ってたんだがなんとなくそういう意図が感じられてきて「ああ、こういう意味の原点か」となんとなく納得した。全然的外れかもしれないが。
一応言っておくと俺は娯楽性やストーリーの面白さを追求した作品作りがダメと思うわけではないです。ファイズなんて大好きですし。そういうものからでも子供は子供なりに何かを感じとってくれるものです。だいたい今どきゴールデンタイムにクソ番組が溢れかえってる今のテレビで、良質な作品を毎週一本か二本流したところで社会の何が変わるわけでもないが、響鬼の制作者のそういう意図は汲み取ってあげたい。だが、ガキのパートは長すぎる。半分にしてそのぶん仮面ライダーを映してくれ。
↓子供の手本にならない大人の見本↓
世の中に女子高生が好きな人はたくさんいますが、潜在的な意味では世界の男全部が女子高生好きといえるかもしれない。そんな中で私は上位20%くらいには入る自信があるほどの女子高生好きです。今度から私のことを語る時は、「女子高生好きのアクセルさん」「女子高生が好きなzandigさん」という具合に言ってください。というかこんなに女子高生が好きになったのは、90年代後半に女子高生のスカートが短くなってからなので、厳密にはミニスカ女子高生好きの俺というべきかもしれない。今の高校生がうらやましくてしょうがない。あんなにスカートが短い子ばっかりだったら、学校ではパンツ見放題じゃないか。今高校生ならよかった。生まれ変われるなら、今の高校生に生まれ変わりたい。無職でヒマなのでブラブラそこらへん歩いてて、高校の近くを通りかかると、「ああ、あの中には女子高生がいっぱいいるんだな。女子高生のパンツがいっぱいあるんだな。パンツを履いた女子高生が。パンツを履いた女子高生がパンツ丸見えでメールとか打ったりしてるんだな」と、茶髪でメイクしたミニスカ女子高生が大勢でパンツ丸見えでキャッキャッとはしゃいでる光景が花とかの効果に包まれてポワワーンと俺の頭の中に浮かんでくる始末です。
つかちょっと不安になってきたんで言っとくが、これ面白がらせようと思って話作ってますんで・・・いくらなんでもこれじゃ俺はバカか?って。バカかよ。やりすぎだよ。