なぜジョニー・スタンボリをケツ割れと呼ぶのか

ある男の要望によりというか別に要望じゃないか、というか自分でも忘れていた昔描いたキャラを思い起こさせてくれたのでせっかくだから新たに描き起こしてみたら、ペン(ピグマだけど)を入れた段階で気が狂いそうになった。なんでこんな髪型と服にしたんだろう?線が多すぎて頭が変になりそうだ。ワオーッ!!ビシイッ!ビシイッ!うなる!ヌンチャクはほえる!
怒りに叫べ!戦え!ドラゴン!!
少しはバイクの整備くらいは自分でできるようにしたいなあとは思うんだけど、技術的な問題以上に物理的な問題というか、場所がない。うじむしの棺桶みたいなうちの駐輪場では隣に数年間乗られた形跡がないレッツがあったりして、せまくて整備とかちょっと無理な感じ。自分でホイール外してまたつけたバイクとかは死んでも乗る気にはならないが、なんかちょっとした整備とか走行中落っこちても命には関わらないパーツとかの交換くらいは自分でやれるようになりたいなあと思う今日この頃いかがお過ごしでしょうか。十年ものなのでエンジン好調とはいえ色々ガタもくるし。

なぜジョニー・スタンボリをケツ割れと呼ぶのかについて
個人的には繰り返し語っていることだが、知らない人が見る機会が多いと思われるはてなに書くようになったのをきっかけに、ジョニー・スタンボリのすばらしさを一人でも多くの人に知ってもらうためせっかくだからこの機会に語ろう。
全日本プロレスに来日しているジョニー・ザ・ブル・スタンボリだが、彼について多くの人が知っていることは「元WWEのあまりパッとしなかったレスラー」という程度だろう。それはそうなんだが。WWE時代の一番の見せ場はリキシをリフトアップしてみせたということくらいだ。「くらいだ」っていうかすげえんだが。
彼は元々WWEのライバル団体だったWCWにいた。WCW時代そこそこ期待されていたみたいで、当時「ジョニー・ザ・ブルのハードコア物語」という彼が主役のストーリーまで組んでもらえていた。それはジョニー・ザ・ブルが元相棒のビッグ・ビトー(WJに来日経験あり)のハードコア王座に挑戦するため、テリー・ファンクに弟子入りしてハードコアの猛特訓を受けるというストーリーだったのだが、師匠テリー・ファンクがジョニーに課した最終試練が「自分とハードコア戦をやって勝て」というものだった。
ケツ割れの伝説はその試合中に誕生した。
試合中ジョニー・ザ・ケツ割れ・ブル・スタンボリは、場外のテリー・ファンクにスワンダイブ式のギロチンドロップという荒技を敢行するが、その際にケツに重傷を負ってしまった。ケツ割った。負傷の詳細は不明だが、当時日本版の解説を務めていたタイガー服部は「骨盤が真っ二つに割れて内臓がはみだしていた」と恐ろしいことを言っていたがそれはどうもガセだったらしく、実際のところ尾てい骨を骨折したとか骨盤にヒビが入ったとかそんな感じだったらしい。
当然大変なことになって、ジョニーは立ち上がって歩くことも満足にできない状態ながら、試合を続行。その後一分くらいながら無類のガッツでなんとか試合を成立させて、しかも勝ってしまった(多分ブック通りとはいえ)。
それから当たり前だが長期間ケツ場。復帰すらあやぶまれていたががんばって復帰。だが復帰直後ふたたび負傷で欠場。忘れていたころにWWEで復活。チャック・パルンボ、ナンジオらとイタリアンマフィアユニット「FBI」を結成して一部に熱狂的な支持を得るがさしたる活躍もなく解雇。ひっそりと全日本プロレスに来日して現在に至る。
だから、もしあなたが全日本プロレスを武藤目当てとかで見に行って、そこにジョニー・スタンボリがいたなら、「彼は試合中ケツを割っても試合を続行して、努力と根性で復帰した偉大なるケツ割れ男なんだ」ということを思い出してほしいのだ。この文章を書くことで一人でもジョニー・ザ・ケツ割れ・ブル・スタンボリのファンが増えれば私は満足なのだ。
それだけです。