怪奇魍魎マン

いつも書く前には今日書くことを考えているのに書きはじめると忘れてしまう。
しょうがないので替え歌とかを書いたりしたらそれは命取りであるのだ。
思い出しただけで泣きそうになるので再読を避けていた「魍魎の匣」の再読を開始した。おれは柚木加菜子派ではなくて楠本頼子派なんだよな。雨宮さんとか久保竣公とかかわいそうな人ばかりで非常に気持ちがわかるというか。そういう人の気持ちがわかるというのはどうにも問題があるような気がするが。
京極夏彦は、リアルタイムでデビュー当時から読んでいたわけではなくて、数年前無職でヒマだった時にブックオフで百円で売っていた「姑獲鳥の夏」をたまたま読んで「オワー」と思って一年くらいでほぼ全部読んだ。なんか「姑獲鳥の夏」はあまり受けなくって、二作目の「魍魎の匣」でブレイクしたらしいんだが、おれは「姑獲鳥の夏」でかなり「オワー」と思った。でも好きなのは「魍魎の匣」のほうだけど。頼子が好きだから。
初期のを今読み返すと、榎木津とか関君がすいぶんまともな人間なので驚かされる。川新なんかかなり初期から出ていたのか。忘れていた。というか川新は「絡新婦の理」しか印象がない。「塗仏の宴」にも出てたのか。いさま屋は初登場の時はちゃんと喋っている。「狂骨の夢」の途中から様子がおかしい人になった。
京極小説の魅力は、ストーリーとか妖怪とかはむしろ別にどうでもよくて、その「居心地のよさ」にあるような気がする。登場する男性キャラは今の社会には到底適合できなそうなダメな人たちばかりで、そういう人たちがのびのびと暮らせる昭和二十年代の世界観。わたしのようなダメ人間には天国みたいに見える。京極夏彦自身は頭もいいし才能もあるので社会人としても業界人としても成功しているけれど、根本的にはそういう人間な気がする。女性キャラはそんなダメな人が夢に描くような現実には絶対出会えない魅力的な人ばかり。理想郷です。ダメ人間たちの友情の輪もすばらしい。シリーズを重ねるごとにダメな人はどんどん増えていく。降旗とか最悪。
魍魎の匣」読んだら読書感想文用にもういっこブログ借りる予定です。そしてHPの新しいトップ絵を描いたらHPのリニューアル完成です。新しいHPは一見ゴス風にしてゴス好きの女の子の受けを狙うつもり。おれはゴスロリの「ロリ」の部分は比較的どうでもよくて「ゴス」の部分が重要らしいということに最近気付いた。どうでもいいというか何だろうなこの文章は。