いいかげん蒲田の皆さんすいません(俳句)

嘘日記
以前おれがバンドをやっていてメジャーデビューまであと一歩というところだった頃のこと、ある時いきなりバンドのギターが「吊り橋の理論」について持ち出してきた。
「つまり『吊り橋の理論』とは、揺れる吊り橋の上で出会った男女は、吊り橋の揺れによる心拍数の高まりを恋によるものと勘違いして恋に落ちるというあれだろ?それがどうかしたのか?」
「つまりだな、夏に海辺で活動するバンドはビッグになるだろ?ビーチボーイズベンチャーズからサザンやチューブに至るまで。あれと同じじゃないかと思うんだ」
「何が同じだって?場所は関係ないだろ。ベンチャーズもサザンも音楽性が優れているからビッグになったんだ。海だろうと雪山だろうと同じだろ」
「もちろん音楽性は大事だ。しかしこの場合、夏に海辺でというのが重要なんだ。吊り橋の理論と同じで、真夏のクソ暑い時にクソ暑い海辺でバンドを見る観客は、夏の暑さによる熱気をバンドの音楽によるものと勘違いしてバンドのファンになるんだ。おれはその理論に着目した」
なんとなく筋が通っているような気がした。
「それじゃなんだ、俺達も夏に海辺でライブをやるのか?俺達はビジュアル系だからなあ、夏場に野外は辛いぜ。第一イメージとあわないんじゃないか?ああいうのはもっとこう、サザンとかチューブみたいなさわやかそうな人がやるから様になるんであって」
「いや、海ではやらない。その理論に気付いてしまったからには、それ以上のことをやらないと意味がない」
「つまり何だ、海辺以上に暑い場所を探してやるってことか?」
「そうだ。海辺以上に暑い場所といったらどこだ?何か心当たりはないか?」
「オフィス街とかは熱帯以上に温度が上がるというが。ていうか夏なんだから基本的には海辺でもどこに行っても温度は同じじゃないか?海辺ってのは雰囲気とか、人が集まりやすいとか色んな要素も含めて海辺なんだろ。それ以上の場所を探すってのは難しいぜ。やっぱりここは地道にライブハウスとか。ライブハウスでも人が密集して温度が上がるから基本的には同じ理論だろ」
「いやそんな尋常なレベルの暑さではダメだ。この理論に気付いてしまったからにはさらなる高い温度の場所を求めなければいけないのだ。そうだライブハウスに暖房入れるってのはどうだ?いや待ていっそあれだ。サウナだ。サウナでライブをやる。これだ!」
当時おれは若かったのでサウナという場所に関する十分な知識を持ち合わせていなかった。知ってれば止めたんだが。その時は止めはしなかったがバカな考えだとは思った。第一あんな狭い場所に客が入るのか。
彼はその自らの理論の迷宮にはまりこんで自分が何をやろうとしているのか理解できない状態だと思ったので、とりあえず現実的にそれはありえない話だということがわかれば落ちつくんじゃないかと思い、一緒にサウナを見に行くことにした。見ればそこでライブをするのは無理だとわかるだろう。
サウナといえば蒲田らしいので(同じく当時おれは蒲田という場所について何もわかってはいなかった)俺達は蒲田に行って、大きいサウナを探した。サウナ桃園というのが目についた。
「ここがよさそうだ。とりあえず入ってみよう」
ギターはサウナの入り口の扉を開けた。と同時に「ムホホー!ビジュアル系の男じゃー!」という声がして、中から何本もの毛むくじゃらの手が飛び出してきてギターの体をつかんだ。ギターは恐怖のあまり声をあげる間もなく、一瞬にしてサウナの中に引きずりこまれた。
おれはあまりの恐怖にギターを助けることも忘れて、振り返ると来た道を一目散に走り出した。ガシャーンという音がしたので振り向いたら、サウナの窓ガラスを割って毛むくじゃらの腹の出た素っ裸の中年男性が飛び出したところだった。数秒、硬直してそれを見ていたら後から後から何人も窓から毛むくじゃらの腹の出た全裸の中年男性がはい出して来た。おれは我に帰って全速力で逃げた。後ろは見ずに。
それからギターの姿は見ていないが、ある時何かの拍子に見たあるサウナのホームページにあった客寄せ用のモデルと思われる写真が、そのギターによく似ていた。その表情を見る限りでは、彼はあっちの世界に十分に適応してしまったようだった。それが彼だったとしての話だが。